自分を救ってくれたパルクールに恩返しがしたい
「パルクールで運動革命を起こしたい」と全国で指導を続ける佐藤さん。西池袋にあるニシイケバレイでは、3年前から週末限定のパルクール教室「X TRAIN TOKYO パルクール教室」を開校している。佐藤さんの中にあふれるパルクールへの情熱は、“パルクールが人生を変えてくれた”という自身の体験から生まれている。彼がパルクールで実現したいのはどんな未来なのだろうか。
学校に行けなかった中学時代、パルクールが道しるべだった
子どもの頃から外で身体を動かすことと、レゴや工作など自由な発想でなにかをつくる遊びが好きだったという佐藤さん。伸び伸びと過ごす彼の日々を変えてしまったのは、私立中学への受験、そして勉強漬けの学校生活だった。
「中学受験を期に生活が極端に変わりました。入学してからも勉強についていけず、成果が出ている実感もなく苦しい日々。運動は好きだったので水泳部に入ったのですが、当時は喘息持ちだった虚弱体質の影響で、勉強との両立が難しくなった。ついに精神的にやられてしまって、中学3年生で不登校に。抑圧されていることが辛くて『以前のように自由に何かをやりたい!』と思っていましたね」
そんな時ふと思い出したのが、小学生の時に見たパルクールの映像。さっそく動画配信サイトで検索して、改めて映像を見た佐藤少年は「これだ!」と確信する。みようみまねでパルクールをやってみると、ものすごく楽しかった。
「自由な発想で動き回る、というパルクールの概念が自分にぴったり合ったんだと思います。パルクールをやっている時だけは、それまで曇っていた視界がはっきりとクリアになる感覚。普段ひと言も発していなかったけれど、パルクールの仲間となら話すことができました。パルクールという道しるべを見つけてそれに向かっていくことで、高校に入る時くらいには元の自分に戻ることができたんです」
本場のパルクールを学びに海外へ。天職だと思った
パルクールの発祥は90年代のフランスで、1997年には創始者といわれる9人組グループ「YAMAKASI」が誕生。カルチャーはヨーロッパ全土に広がっていったが、佐藤さんがパルクールを始めた2006年頃、日本にほとんど情報がなかった。手探りでパルクールを続けていた佐藤さんだったが、2007年にロンドンの団体「PARKOUR GENERATIONS」CEOのダンさんに出会ったことで自分のパルクール観が大きく変化する。
「撮影で来日していたダンさんに会った時、彼がこう教えてくれたんです。『パルクールはくるくる回って危ないことをするものじゃなく、身体を鍛えて自分が強くなるためのもの。自分に足りないものは何か、できないことは何か。自分の限界を見つけてそれを超えていくことなんだよ』。その時から僕はただ派手な動きをするのではなく、自分と向き合い、安全に身体を動かすために心身を鍛えるという、本当のパルクールを追求し始めました」
高校卒業後、再びダンさんに会うためにロンドンへ。次から次へと質問が止まらない佐藤さんをみて、ダンさんは指導者になるコースを受講することを提案。日本に正しいパルクールを広めるというミッションに運命を感じた佐藤さんは、すぐに受講を決意。当時通っていた写真の専門学校も退学した。イギリスで日本人として初めて国際指導員の資格を取得したあとは、パルクール一筋の道を歩んでいる。
「パルクールの指導者は天職だと思っています。人間が根源に立ち返る方法としてパルクール以上のものはないと信じているし、動くことを通じてYAMAKASI直伝の理念を伝えていきたい。なんといっても僕がこうして元気になれたのはパルクールのおかげなので、恩返しがしたいという気持ちもあります」
パルクールで運動革命を。外遊びが当たり前の世の中にしたい
現在は「SENDAI X TRAIN」という組織の共同代表として、仙台と池袋の教室を軸に、全国で出張指導も行っている佐藤さん。今後は豊島区のまちでも、もっといろいろな人達とパルクールができればと話す。
「サンシャインシティやその近隣は障害物がほどよくあるので、昔から練習場所にしていました。豊島区にはところどころに昭和の雰囲気が残っていて、僕が復活させたい外遊びの文化の空気感があるんですよね。池袋には公園も多いので、いろんな場所でパルクールをやるのも面白そうですし、もっといろんな子どもたちに会いたいです」
佐藤さんがパルクールを通して実現したいのは、外遊びの復興。運動離れが進む現代の子どもたちに運動の楽しさを伝え、好奇心を持ち続けてほしいと願っている。
「いつか子どもたちが自由に外遊びをする文化を取り戻したいし、運動離れが進む現状に革命を起こしたい。パルクールをやっていると、好奇心が子どものまま生き続けるんです。どうしたらあの動きができるのか、次はこうして動きたいなとどんどん追求したくなる。僕自身も一生パルクールを追求し続けると思います。100歳まで続けられたら最高ですね」
日本を代表するパルクールの指導者が池袋にいるという巡り合わせ。いつか豊島区がパルクールと外遊びの聖地になる日がやってくるかもしれない。
文:井上麻子 写真:北浦汐見