キッチンABC 西池袋店
豊島区を代表する、まち中華ならぬ“まち洋食”「キッチンABC」。1969年に要町で創業し、現在は南大塚店、西池袋店、池袋東口店、江古田店の4店舗を構える、生まれも育ちも豊島区のお店だ。50年以上変わらないスタイルを貫いてきた「キッチンABC」が今、ちょっと変わろうとしている……! というウワサを聞き、その変革のキーパーソンと、彼女を見守る総料理長のお2人にインタビューすることにした。
はじまりは伝説の大衆食堂「キンカ堂食堂」
「キッチンABC」の前身は、戦後の池袋で人気を博した「キンカ堂食堂」。時代の変遷により閉業を余儀なくされたが、当時の代表と料理長がタッグを組み、味を引き継ぐ形で「キッチンABC」を立ち上げる。以来ずっと、豊島区にこだわって営業を続けてきた。
「創業者は私の祖父で、現社長は父。私はIT企業で働いた後、2021年に入社しました。また祖父と一緒に会社を立ち上げた当時の料理長は、現在の総料理長・中野のお父さんです。スタッフも2、30年と働いてくださっている方が多く、まるで会社自体がひとつの家族のようだなと思います」と話すのは、広報の稲田安希さん。隣には料理長の中野正之さんも同席してくれた。
4つの店舗はメニューこそ同じものの、まちの色に連動するように客層や内装、人気のメニューもまったく違う。豊島区だけで展開している理由は「目が届く範囲でやらないと、お店の魅力が薄まるから。社長はいつも4店舗を自転車で巡回しているんですよ。池袋発祥と地域密着という2つの軸はすごく大切にしていますね」と、稲田さん。お店を支える濃厚な経営陣&スタッフと、豊島区密着というスタンスが、1969年の創業から、もしかしたら「キンカ堂食堂」時代から、変わらない彼らのスタイルを守ってこられた秘訣だと思う。
元祖メニューはポークの焼肉
料理の味も変わらない。メニューはハンバーグやオムライスといった洋食の定番から、「オリエンタルライス」や「黒カレー」といった聞き慣れないものまで幅広く、オーダーの時はかなり迷ってしまう。どれも定食スタイルでボリュームがあり、ご飯が進むしっかりと濃いめの味付けがABC流。人気店なので、11時の開店前にはお店の前に行列ができていく。
「うちの料理のコンセプトは“脳が覚える味”。ふと思い出して無性に食べたくなるような、しっかり濃い目の中毒性のある味わいは変えていません。『ABCの味じゃないとダメだ』っていうものを作っていかないと、お店は続いていかないですからね」と、中野さん。期間限定や日替わりのメニューはすこし冒険することもあり、アイデアマンの社長が突然発見してきた食材や調味料で、新しい料理を生み出すこともあるのだそう。
お客さんのリクエストから生まれたのが、人気2トップの「オリエンタルライス」と「黒カレー」を一皿にした「オリカレー」。「オリエンタルライス」はもともとまかないで、にんにくが効いたタレで炒めたニラと豚肉をご飯にのせ、仕上げに卵黄を落としたスタミナ飯。「黒カレー」は、竹炭が入っていること以外は企業秘密。漆黒のルーは口に入れると、芳醇で複雑なスパイスの香りとまったりとした旨味が広がる。シンプルなように見えて、絶対にマネできないおいしさだ。
そしてぜひ一度食べてほしいのが「焼肉定食」。これこそが、キンカ堂食堂時代から続く元祖の味だという。「キンカ堂食堂から受け継いだ秘伝のタレで、豚肉を炒めたのがうちの焼肉です。生姜焼きとも違う独自の味わいで、ご飯にすごく合いますよ。いまだに『これじゃないと』という根強いファンもいらっしゃいます」と、稲田さん。
ちなみにセットには「味噌汁」が付くとメニューに書かれているが、実際には「豚汁」がやってきてうれしくなる。付け合せのコールスローしかり、ケチャップスパゲッティしかり、「すべてはひとつの料理として手を抜かない」というのが社長のこだわり。このきめ細かさも、長く愛される所以なのだろう。
冷凍食品やコラボレーション。キーパーソンが仕掛ける新しい挑戦
そんな変わらないお店が、ちょっと変わってきた。ずっとやってこなかった冷凍食品の発売や、他店とのコラボレーションなど、外との関わり方に変革が起き始めているのだ。仕掛け人は、なにを隠そう今日のインタビュー相手、社長の娘で広報を担う稲田さんだ。
「コロナを機に家業に入り、お店に行きたいのに行けない、届けたいのに届けられないこの状況を、“目の届く範囲”を守りながらなんとかできないかと考えました。そこで、うちの料理を冷凍食品にすることを思いついたんです。専用の工場も完成し、都内数か所に設置した自動販売機で販売しています。実店舗の良さは100年先も続くようにキープしながら、冷食の事業は新しい形で、お店の魅力を広げていきたいと思っています」
練馬区のパン店とは、名物「黒カレー」を使ったカレーパンを共同開発。ほかにも、以前からお客さんからのリクエストが多かった自家製ドレッシングを商品化したり、かっこいいTシャツを作ったり、どんどん新風を吹き込む稲田さん。
「彼女が来てから本当に変わりました。若い子が働きたいと応募してくるなど、内部でも変化があります。社長は『とりあえずやってみよう』が口癖なので、前向きに耳を傾けているようです。良いチームになってきたんじゃないですかね。大変なこともありますが(笑)」と、中野さんは温かい目線で見守っている。
池袋は東西南北のカラーが混ざり合って、新しいものが生まれるまち
池袋のことを「ニューヨークみたい」だと話す稲田さん。その心は?
「人種のサラダボウルと言われるように、東はアニメ、南は自然や家族連れ、北は中国系、西は文化芸術と、池袋もいろんなカルチャーが対立せずに共存しているまちだと思うんです。この異なる文化の掛け合わせで、なにか新しいものが生まれるまちであって欲しい。そして私達もその中のひとつの文化としてまちに関わりながら、おもしろいことをやっていきたいです!」
50年続いてきた洋食店を、未来につなげるべく現れたゲームチェンジャー。多種多様な文化が集まるこのまちで、大切なものは守りつつ、柔軟に変化していく「キッチンABC」の今後の展開がとてもたのしみだ。
文:井上麻子 写真:北浦汐見