RYOZAN PARK 大塚
豊島区巣鴨・大塚エリアを中心に展開する複合型施設「RYOZAN PARK」(リョーザン パーク)。シェアハウス・シェアオフィスを備えた「RYOZAN PARK巣鴨」を皮切りに、着々と事業を広げていき、現在は“半公共”をコンセプトにした「RYOZAN PARK GREEN」の開業を進めている。事業の根底にあるのは、「働く」「暮らす」「育てる」「学ぶ」の追求。その狙いを創業者の竹沢徳剛さんに伺った。
個性を認め合い、お互いを高め合う現代の梁山泊
「RYOZAN PARK」は、「働く」「暮らす」「育てる」「学ぶ」の融合をコンセプトにした複合型施設。豊島区巣鴨・大塚エリアを拠点にして、シェアハウス事業やシェアオフィス事業などを展開している。
事業がスタートしたのは2012年、東日本大震災が起こった翌年のことだった。発災当時、創業者の竹沢徳剛さんは、アメリカのワシントンに身を置いていた。現地に滞在する日本人のためのローカル新聞社に務めていたが、震災が起こった日を境に状況が一変。地元メディアからインタビューの依頼が殺到するものの、竹沢さんは現地の詳しい情報を知る由もなかった。復興を祈るしかない状況に気持ちばかり焦った。
いてもたってもいられずに、竹沢さんはアメリカで復興支援活動をはじめる。ファンドレイジングを立ち上げて、集まった資金を寄付にあてた。もてる限りの人脈に頼って、人づてに活動の輪がどんどん広がっていく。なかでも印象的だったのは、日本から来た留学生たちの働きぶりだ。
「さまざまなバックグランドをもつ若者たちが一堂に集結しました。日本人とアメリカ人との間に生まれた子であったり、韓国にルーツをもつ子であったり。日本ではマイノリティ扱いされがちな彼らが『日本のためになにかできないか』と、一生懸命頑張っている。そこで考えたんです。震災で傷ついた日本社会が活力を取り戻すには、多様性を受け入れ、お互いの存在を認め合うコミュニティが必要なのではないか、と。それが『RYOZAN PARK』立ち上げの出発点です」
帰国を決意した竹沢さん。そこからの行動は早かった。地元の巣鴨に戻り、曽祖父の会社が所有しているオフィスビルをリノベーションして、シェアハウス兼シェアオフィスを開業。「RYOZAN PARK巣鴨」と名づけた。
施設名の由来は、「三国志演義」に並ぶ中国の歴史小説「水滸伝」に由来。劇中、豪傑たちが本拠地にしていた「梁山泊」にちなんで、その名を拝借した。
「設立するにあたって迷いや不安はありませんでした。もうやるしかない! って感じ。志のある人たちが集い、お互いを高め合える“村”のような存在。それが『RYOZAN PARK』なんです。きっとワクワクするような場所になるだろう、と希望に燃えていました」
利用者たちの声を集めて、理想の職住環境をつくる
「RYOZAN PARK巣鴨」は、巣鴨駅から徒歩約2分の好立地。雑居ビルや集合住宅が並ぶ通りに溶けこむように立っている。一見するとよくあるオフィスビルの佇まいだが、一歩足を踏み入れるとそこは別世界。シェアオフィス・コワーキングスペースのフロアは、さながらアートギャラリーといった雰囲気。窓からは自然光がたっぷり注ぎ、開放的な気分で仕事と向き合える。
「内装の多くは、私や家族が考えたものです。自分たちの好みを投影していくうちに、フロアごとに異なる雰囲気になっていきました。私のなかでは『戦士たちの集う場所』というテーマが一貫してあって、設立当初は少年漫画の『魁!!男塾』の世界を目指していたくらい(笑)。で、入居者専用のラウンジにミッドセンチュリー調の家具が並んでいたのもその影響だったんですが、10年の時を経た現在は梁山泊らしく日本の山から運んだ岩を並べ自然の中を意識するようになったんです。リフレッシュしたいときは地下にあるトレーニングジムへ。私も入居者たちと一緒になって、汗を流していますよ」
ラウンジやトレーニングジムのほか、イベントスペース、屋上庭園なども入居者に開放している。なかでも広々としたダイニングキッチンは、仲間が集う憩いの場に。50名が収容できるレストラン顔負けの造りで、食器類も充実。自然と人が集まり、気づけば話に花が咲いている。竹沢さん夫妻も入居者同士の交流を後押ししており、ホームパーティーやイベントなどを積極的に開催。若い入居者にとっては、頼れるアニキ的な存在なのだ。
「極力一人で過ごしたい、という人は『RYOZAN PARK』には合わないかも」と、竹沢さん。『RYOZAN PARK』の入居者たちがふれあう光景は、ひと昔前は当たり前だったご近所付き合いそのものだ。
「震災のときに気づいたのですが、行政にばかり頼るのではなく、自分の身は自分で守らなくてはなりません。『RYOZAN PARK』のコンセプトもその延長線上にあって、入居者たちが理想とする暮らしを具現化していったものなんです」
だから、竹沢さんは入居者たちの意見にもしっかりと耳を傾ける。その最たる例が、2015年に大塚にオープンした「RYOZAN PARK大塚」である。シェアハウス・シェアオフィスの機能は「RYOZAN PARK巣鴨」と変わりないが、入居者たちのリクエストを受けて、託児所も併設された。
「昔はご近所の人たちがみな顔見知りで、地域一帯で子どもたちを見守っていた。だから、親たちも安心して子どもたちを外に送り出せていた。しかし、近頃はご近所付き合いもなくなっているし、子どもを狙った物騒な事件も少なくありません。入居者たちが『RYOZAN PARK』に『育てる場』を求めたのも自然の成り行きといえるでしょう」
2018年、「RYOZAN PARK大塚」の託児所は「育てる場」から「学びの場」に進化。1才から3才までの子どもたちを英語保育するプリスクール(認可外託児所)へとリニューアルを果たした。(2024年現在、スクールの運営母体は、元シェアハウスの住人である近藤直美さんが代表のNPO法人こそだてビッレジ。モンテソーリ式の教育を取り入れたアフタースクールも運営し、教育機能を充実させている)
アメーバのように広がり続ける「RYOZAN PARK」
竹沢さんの“村づくり”は、「RYOZAN PARK巣鴨」と「RYOZAN PARK大塚」だけにとどまらない。2019年、巣鴨の地にコワーキングスペースの「RYOZAN PARK ANNEX」とカフェスペースとしての機能も持つ「RYOZAN PARK LOUNGE」をオープンした。
「RYOZAN PARK LOUNGE」は、木材や土壁などの自然素材をふんだんに使ったワークスペースで、まるでカフェのよう。「RYOZAN PARK LOUNGE」は、スコットランドの古城をイメージしており、中央アジアの絨毯や荒々しい石積み、重厚感のある梁などを随所に配置。セミナー、ワークショップ、料理教室、撮影スタジオ……へと、用途は多岐に渡る。
シェアハウスの入居者、シェオフィスの利用者も多種多様。デザイナーやエンジニア、ライターなど個性的な面々が集う。外国籍の人も利用しており、じつに国際色豊か。利用者同士が連携して、新たなビジネスが生まれることもあるという。
「『RYOZAN PARK』のコンセプトに共感してくる人が多いので、気が合うんでしょうね。利用者同士が意気投合してビジネスにつながる、というケースが多々あります。サンシャインシティでイベントを開いている『日本たまごかけごはん研究所』も立ち上げ当初は、『RYOZAN PARK』の軒先で卵かけごはんを販売していたんですよ」
2024年1月には、大塚に5棟目の施設にあたる「RYOZAN PARK GREEN」をオープンする。従来のシェアハウス、シェアオフィスとして利用されるほか、農業や環境問題に関わる社会起業家のための育成施設としても機能。道路を挟んだ向かいにある「南大塚二丁目児童遊園」とも連携して、“半公共的”なスペースを目指す。
巣鴨・大塚エリアを舞台に“面”で広がっていく「RYOZAN PARK」。竹沢さんに次の目標を訊いてみると、意外な答えが返ってきた。
「次はアレをする、次はコレをするとか、明確な目標は立ててないんですよね。仲間の意見をふまえて、必要とされる機能や施設をつくってきた感じなので。だから『RYOZAN PARK』は永遠に完成することはないと思います。ずっとアメーバのように広がり続ける。ただ、強いていうなら、ティーンエイジが集まれる場所をつくりたいですね。あとは、楽器が思い切り演奏できるシェアハウスとかいいかも」
最後に竹沢さんは「なんにせよ、自分が率先して楽しんでいきたい」と付け加え、その日一番の笑顔を見せた。
<クレジット>
文:名嘉山直哉 写真:北浦汐見
※一部の写真は取材先よりご提供いただいております