一瞬より一生の関係を。「ひとが主役」の豊島区だからできること
かつては、「消滅可能性都市」と指摘された豊島区。そこから脱却するため行政や民間企業、住民が手を取り合い、たくさんのプレイヤーがまちの発展に貢献してきた。全国各地で様々なコミュニティの設立・運営を支援してきた中島 明さんもその一人で、「としま会議」をスタートさせたほか、池袋界隈で数々のコミュニティに携わってきた。いまやこのまちに欠かせない“有名人”として知られる彼だが、豊島区に移住してしばらくの間は、まちや人との関わりはほとんどなかった。そんな中島さんが、豊島区でいくつもの変化を生み出せた理由は何なのだろうか。そして、暮らすだけでなく、つながることで見えてきたこのまちの魅力とは。
“ただの”新住民から、まちづくりの要となる存在へ
コミュニティづくりを仕事にして25年。会社員時代はコミュニティマーケティングを専門に経験を積み、2010年の独立後は全国さまざまな地域でコミュニティの立ち上げやサポートを行ってきた。豊島区では2014年の「としま会議」発足を契機に「リノベーションスクール@豊島区」の運営、「RYOZAN PARK」のインキュベーションマネージャー、豊島区基本構想審議会委員などに携わり“豊島区を最もよく知る人物の一人”と言っても過言ではないだろう。
中島さんが豊島区に暮らし始めたのは2007年。このまちで活動をスタートするまでに7年の空白がある理由を尋ねると、「豊島区に全く愛着がなかった」という意外な答えが返ってきた。
「隣に誰が住んでいるのかも分からないし、ましてや町会に属するわけでもない。新住民の多くがそうであるように、まちの知り合いは2、3人程度。仕事での関わりもなかったので、行きつけやお気に入りの店も外のまちに求めていました。でも、これまでずっとコミュニティに携わってきて、自分の暮らすまちを知らないのはどうなんだろうと思って。そろそろ何か始めてもいいんじゃないかなと考え始めたタイミングで出会ったのが、株式会社nest代表取締役で『IKEBUKURO LIVING LOOP』をスタートさせた青木 純さん。当時、僕が入居していた池袋のコワーキングスペースのオーナーだったんです。『地域で何かできないか』と相談し、一緒にとしま会議を始めることにしました」
としま会議は、豊島区で活動する4、5人をゲストとして迎え、それぞれの取り組みや活動への思いをトークライブ形式で実施するイベント。後半は登壇者を交えた“みんなでご飯を食べる”時間が設けられ、豊島区に暮らす人や働く人、学生など参加者同士の交流を促す。出入りが自由なコミュニティであるため、新住民や若者が参加しやすいのも特徴だ。
「トークライブの持ち時間は、あえて参加者が物足りなさを感じる1人8分でセッティング。そうすると『もっとこの人の話を聞きたい』『Aさん目的で来たけれど、Bさんも面白いぞ』と、話すきっかけができます。もっと知りたいと思ったら、その場所やお店を訪れればいい。飲食店のオーナーに登壇してもらったときは、としま会議の参加者たちが翌日そのお店に集まっていたなんてこともありました。としま会議は、人々がまちを回遊する仕掛けにもなっているんです」
としま会議のゲストは、中島さん自らが選定。フリーランス、職人、飲食店のオーナー、IT企業の社長など、あえて異業種でメンバーをそろえるのにも理由がある。
「同じ人だけで集まっても、新しいものはなかなか生まれません。外からのスパイスが入ったり、全く関係のない分野の人に心を動かされたり。Aの業界の当たり前がBの業界ではそうじゃなかったということもありますから。ちなみに、僕が勝手に言っているだけなのですが、現代人の多くが利用するSNSや検索エンジンが仕事上のライバル。何が言いたいかというと、これらは検索すればするほど似たジャンルがAIによってリコメンドされますが、異なるジャンルを結び付けるのはまだ難しいですよね。僕が起こしたいのは、異なるもの同士がつながることで生まれる化学変化なんです」
コミュニティの血流を促し、ヘルシーに続く関係を構築していきたい
豊島区に生まれ育ったわけでもなく、知り合いもほとんどいないところからのスタートだったが、中島さんにはこれまでの経験で得た“嗅覚”がある。そしてもう一つ、活動する上での武器となっているのが自身のキャラクターだ。
「いろいろな場所に顔を出していますが、どっぷりつかるかというとそうでもないんです。男三兄弟の末っ子で、兄貴たちがけんかをすれば『今日はどっちにつくか』を考えて生きてきましたから、基本的に八方美人な性格なんです(笑)。どこかに偏ることがないから新しいものにも出会いやすいのかもしれません。そして、僕が池袋界隈で活動を始めた時期と、まちにいろいろなものが生まれ始めた時期は偶然にも同じタイミング。その波に乗るようなかたちで活動できたのもラッキーでしたね」
としま会議スタート時、自身への激励の意を込めて作成したのが「としま人100人」という空欄のリスト。相棒の自転車で各エリアに赴き、自らの目と足でまちの面白さを発掘してきた。気付けば10年が経過し、としま会議の登壇者は300人まで到達。「一瞬の関係より一生の関係」を生み出したいという中島さんの思いは、いくつもの場で花を咲かせてきたのだろう。
「まちを生態系のように考えると、僕の役目は人と人、コミュニティ同士の循環を良くしていくこと。コミュニティの中で壁があったり、メンバー間に温度差があったり、盛り上がりが足りなかったり。そんな“血の巡り”が悪い部分を見つけては、循環を促していくんです。立ち上げから携わるわけではないので、それを自分の実績というのは違うと思っています。でも、コミュニティを盛り上げ、それぞれを少しずつ接続していくと、まちの価値を上げることができる。これは、自信を持って『できる!』と言えます」
豊島区には、異端なものを生み出せるカルチャーと底力がある!
としま会議を開催した翌日のまちは、「めちゃくちゃキラキラして見える」と話す中島さん。目に映るまちの景色は、10年前からどのように変化したのだろうか。
「豊島区の人は、みんな優しい。ウェットだけれど面倒な感じもない、絶妙なブレンド感がいいですよね。正直、最初はやぼったいまちだと思っていたんです。でもそれは、単純に僕がまちの面白さに気付いていなかっただけでした。トキワ荘や池袋モンパルナスがあったり、セゾンカルチャーの発祥地でもあったり。自由学園をはじめ、新しい教育に挑戦すべく生まれてきた学校もこのまちには数多く存在します。まち全体に、カルチャーを生み出すDNAが根付いているんですよね。だから個性的で面白い人が多いし、新しいカルチャーも生まれやすいのだと思います。豊島区は、東京全体で見たら都会のはずれかもしれません。でも、まちの面白さというのは“はずれ”や“奥”にあるものですから」
まちを知り、まちに溶け込む存在となったことで、地元である千葉の仲間からは「池袋の人」と呼ばれることも。としま人を発掘し、紹介するつなぎ役として活動してきた中島さん自身もまた、誰もが認めるとしま人なのだ。
「大好きな場所もたくさんできました。一つに絞るのはなかなか難しいのですが、『グリーン大通り』は思い出の場所。IKEBUKURO LIVING LOOPが始まる前、社会実験としてマルシェなどを開催したのですが、正直あまりうまくいかなかったんです。そこからこの場所をずっと見てきましたが、ただ通り過ぎるだけの場所だったのが、仲間と会うことのできる場所になり、いろいろなコミュニティが集まるまちの結節点へと成長しました。新住民や若者が参加しやすいコミュニティも増えましたし、僕自身も紹介したい人はまだまだたくさんいます。豊島区のポテンシャルは、想像以上に高いんです! 大好きなこのまちと丁寧に向き合い、今後も一つひとつかたちにしていきたいですね」
文:濱岡操緒 写真:北浦汐見
※一部の写真は取材先よりご提供いただいております