元禄時代から続く深野家の第17代目当主として、大きな土地を受け継いだ深野さん。住宅だけだったその土地一帯を「ニシイケバレイ」と名付け、住宅とお店などが入り交じる開かれた場所に生まれ変わらせた。なんと、もともと大家業に興味がなかったという深野さん。彼はどのようにユニークな大家さんになったのか、お話を聞いてみた。
“大家はまちの採用担当”。17代目当主が大家業に目覚めるまで
「17代目当主」と聞くとすごい迫力だが、当の深野さんは「元禄時代から続いてるなんてね。ネタみたいなもんです」と、ニコニコ。いつか土地を継ぐことは決まっていたが、大家業よりも興味があったのはオーガニックや農業のこと。大学卒業後は自然食品の会社や、有機JASの検査員、自分でオーガニックショップを経営していたそう。
「環境問題や農業に興味があって、田舎で暮らしながら農家をやりたいと思っていました。それで八ヶ岳に引っ越そうと、妻と一緒に土地を見に行ったんです。池袋に帰宅したら、なんと窓が割られて泥棒に入られていて……。そこではたと気がついたんです。『自分はこの場所でちゃんとやらないといけないんだ』って。変なきっかけなんですけど(笑)」
冗談みたいなターニングポイントをきっかけに、自分の引き継ぐ土地と向き合うことになった深野さん。「としま会議」で面白いまちのプレイヤーとつながったり、全国にいるユニークな大家さんに出会ったりしていくうちに「池袋のまちも大家業も、けっこう面白いかも」と思うようになった。
※としま会議: “豊島な人々” をジャンルや世代を越えて集め、豊島区のさまざまなヒトやコトを紹介しながら、参加者同士の交流を促すイベント
「東池袋などで大家業をされている青木純さんという方がいらっしゃるんですが、彼が『大家はまちの採用担当』と言っていて、なるほどと思いました。基本的には建物や土地を持っているのは大家さんで、そこに住む人やどんなテナントを入れるかを決めるのも大家さん。大家さんの意識次第でまちは変わるし、役割が大きいなと気づいたんです」
みんなに使い倒してほしい。顔が見えるまち「ニシイケバレイ」
ニシイケバレイはいま、住宅、飲食店、器の店、シェアキッチン、コワーキングスペース、パルクール練習場、そしてもともと深野さんが暮らしていた古民家平屋を改装したカフェ「Chanoma」で構成されていて、イベントなども開催。それぞれの場所で人が交わり、出会いがあり、生活があり、まるでここ自体がひとつのまちのようになっている。
もともと住宅しかなかったこのエリアにお店や共有スペースを入れてまちに開いたのは、深野さんの理想とする「顔がみえる関係性」がある場所にしたかったから。
「住んでいる人が全員しっかり繋がっている必要はないけれど、ふんわり風の噂でもお互いのことを知っているような場所にしたかったんです。たとえば住んでいるマンションの上の階がちょっと騒がしくても、“そういえばあそこ3歳の男の子がいたよな”ってなんとなく知っていれば理解できるし、すこし寛容になれるじゃないですか。そういう相手への想像力を持った関係性が生まれるといいなと思ったんですよね」
現在、新たに3階建ての共同住宅を建設中。1階には直営の飲食店とパルクールのジム、もうひとつテナントを入れる計画だ。深野さんにとってニシイケバレイは自分の所有物ではなく、みんなのもの。どうすればここに関わる人たちがたのしめるか、深野さんは常にアイデアを練っている。
「僕自身この土地に執着はなくて、たまたま持っているくらいの感じなんです。だからこそみんなに使い倒してもらいたいという気持ちがある。ドカンと大きなことをやるよりも日常の中で、ニシイケバレイを起点に関係人口が増えていけばいいなと思います。あ、でも建設中に餅まきをやってみたいなぁ。プロレスラーなんかに来てもらって」
めざせ小さな独立経済圏。米と大豆をつくりたい!
そんな深野さんのやりたいことは、やっぱり農業。今度はニシイケバレイを拠点にして、ここに関わる人たちと一緒に農業ができたらと模索中だ。
「ニシイケバレイにはもう敷地がないので、通える距離のところに畑を作って、米と大豆を育てたいです。将来的には住人やここに関わる人達にも農作業に参加してもらって、手伝った分だけ収穫物を分配したり、飲食テナントさんに使ってもらったりできたらいいな。自給自足とまではいきませんが、自分たちが作ったものが循環するような小さな独立経済圏が作作れたらいいですね」
文:井上麻子 写真:北浦汐見