「RYOZAN PARK」の役目は、世代と世代をつなぐ架け橋になること
巣鴨・大塚エリアでシェアオフィスやシェアハウス、プリスクールなどを運営する「RYOZAN PARK」(リョーザン パーク)。創業者の竹沢徳剛さんは豊島区育ちで、幼少時代から過ごしてきた巣鴨を出発の地に選んだ。創業11年目を迎えた現在もその情熱は増すばかり。「ハッピーなコミュニティをつくること」をモットーに、今日まで走り続けてきた。
“おばあちゃんの原宿”にできた、新たなコミュニティ
“おばあちゃんの原宿”として知られる巣鴨。その愛称の由来となった「巣鴨地蔵通り商店街」には、昔ながらの衣料品店や食堂、甘味処などが軒を連ね、昭和の風情が息づいている。
商店街の途中にある「とげぬき地蔵尊」(高岩寺)は、江戸時代から親しまれるパワースポットで、休日ともなると観光客で大にぎわい。商店街で開かれる縁日が重なると、そこかしこに人だかりができる。
(毎年冬には千葉県鴨川市の有機農家と一緒に地域に開かれた餅つきをやっている)
そんな古き良き暮らしが残る巣鴨で、新たなコミュニティが定着しつつある。それがシェアハウスを併設するシェアオフィス「RYOZAN PARK 巣鴨」だ。2012年の開業から10余年、多くの若者たちが「RYOZAN PARK」に自身の居場所を見いだし、やがて巣立っていった。野心に燃える若者たちが意気投合して、ビジネスを立ち上げることもザラ。まさに『水滸伝』に出てくる「梁山泊」さながらだ。
創業者の竹沢徳剛さんは、野武士のような風貌で貫禄十分。「RYOZAN PARK」の利用者からの信頼も厚く、ときにはメンターとなって世話を焼く。こうした分け隔てのない姿勢は、幼少時代から過ごしてきた巣鴨で育まれたものだ。
「生まれは文京区の本駒込ですが、3、4歳の頃に豊島区雑司ヶ谷に移り住み、小学6年生まで都電に乗って巣鴨の小学校に通っていました。公立の小学校だったものだから、とにかく多様性に満ちていた。サラリーマン家庭で育った子もいれば、商店街に店を出している団子店の息子やうなぎ店の娘もいたりして。豊島区ならではの個性豊かな顔ぶれでしたよ。今にして思えば、さまざまな人種が集う池袋の街並みとも重なります」
中学に上がると、父方の実家である巣鴨に転居。以来、巣鴨がホームになった。大学卒業後は、アメリカに渡りワシントンDCにある大学院へ。国際政治を学び、在学中にバラク・オバマ元米大統領の選挙キャンペーンにも携わった。日本にある大手総合商社への就職も決まり、すべてが順風満帆に思われたが……。
(2009年に就任したオバマ大統領の就任式の様子。写真はバイデン副大統領。竹沢さんのスタイリストはバイデン副大統領の髪も切っていたという逸話も。)
(写真右 大学院での親友、マレーシア出身のユスマディ・ユソフは帰国後、国会議員になった。ワシントンDCで知己を得ていたマレーシアの元アンワル副大統領(写真中)は、2022年に大統領に就任した。)
「サラリーマン生活がまったく性に合わないと気づいたのです。朝の満員電車がとにかく苦痛でした。何事もスケールが大きく、のびのびと暮らしていたアメリカ生活とは対照的。結局、すぐに商社を辞めて、逃げるようにワシントンへ戻りました。その後はローカル新聞社の記者として活動していましたが、2011年に東日本大震災が起こり緊急帰国。そこからが『RYOZAN PARK巣鴨』の開業につながります」
先人たちが築き上げてきた文化へのリスペクトを忘れない
新社会人になって間もなく、ほろ苦い体験を味わった竹沢さん。「RYOZAN PARK巣鴨」にシェアハウス機能とシェアオフィス機能を備えたのも自然の成り行きだったのかもしれない。
「昼は職場でバリバリ働いて、夜は家で休む。それまでは当たり前とされてきた働き方ですが、なんだか無理やり仕事モードと家庭モードを切り替えているみたいで。はたしてこれでいいのか、と満員電車に揺られながら考えたんです。LIFE(生活)のなかにWORK(仕事)が溶けこんでいるような働き方があってもいい。世間の人たちもそのことに気づきはじめていますよね。リモートワークが浸透したのは、コロナ禍だけが理由ではないと思っています」
現在、竹沢さんは巣鴨・大塚エリアで、5棟の「RYOZAN PARK」を展開している。「RYOZAN PARK」がきっかけで結ばれたカップルは数知れず。そのうちの約20組が結婚し、トータルで30人以上の子が生まれているというから驚きだ。「ぜひ、わが街にも『RYOZAN PARK』を!」と、他県の自治体から連携を持ちかけられることも少なくない。
「恵比寿で『RYOZAN PARK』をやってみませんか?と、民間の組織から声がかかったこともありましたよ。華やかそうな街への進出に一瞬心が揺らぎましたが、丁重にお断りしました。昔から馴染みのある巣鴨・大塚エリアだから『RYOZAN PARK』は、上手くまわっています。自分の手の届く範囲で運営しないといつか綻びが生じてしまうでしょう」
「RYOZAN PARK」が事業を拡げてこられたのは、巣鴨・大塚エリアの懐の深さの現れともいえる。竹沢さんは、こうした土壌を育んできた先人たちへのリスペクトを忘れない。
「町内会や商店街などのオールドコミュニティが街づくりに励んできてくれたから、今の巣鴨・大塚があるのだと思います。その心意気に応えるためにも、我々がオールドコミュニティと外の若者をつなぐ架け橋にならなくては」
これからも巣鴨・大塚エリア一筋で、我が道を突き進む
幼少時代から巣鴨・大塚の移り変わりを見てきた竹沢さん。この頃は、大塚で進む再開発が気がかりだ。
「この10数年間でまちの雰囲気も大きく変わりました。駅前の広場が整備され、商業施設も増えています。土地の価値は上がっているのかもしれませんが、その一方で年季の入った建物やちょっといかがわしいお店などが取り壊されていき、味わい深い景観が少しずつ失われつつあります。まるで、まちが“浄化”されていくみたいで忍びない。こぎれいな街並みだけではなく、レトロな街並みも文化として認めるべきだと思います」
地元の話になると、ついつい熱がこもる。ところで、今後、池袋で「RYOZAN PARK」を展開する予定はないのだろうか?
「う~ん、とくに考えてはいませんね。たしかに池袋には、大きなビジネスチャンスが眠っているかもしれません。けれど、私の目標はあくまでも巣鴨・大塚エリアにハッピーなコミュニティをつくることなので。それに歴史的に見ると、現在の池袋はかつての巣鴨村に含まれていたんです。だから、私も池袋を特別視することなく、ドンと構えていられるんでしょうね(笑)」
その巣鴨・大塚エリアにハッピーなコミュニティをつくる一貫として、
2024年1月には、大塚に5棟目の施設にあたる「RYOZAN PARK GREEN」をオープンする。従来のシェアハウス、シェアオフィスとして利用されるほか、農業や環境問題に関わる社会起業家のための育成施設としても機能。道路を挟んだ向かいにある「南大塚二丁目児童遊園」とも連携して、“半公共的”なスペースを目指す。写真はその「RYOZAN PARK GREEN」の建設中現場で撮らせていただいたものだ。
撮影時にも今回施設の細部へのこだわりなどを説明いただく竹沢さんからは、強い希望とバイタリティが伝わってきた。
竹沢さんにとって「RYOZAN PARK」を創業した巣鴨こそ、豊島区の“中心地”。ブレない信念を胸に抱き、これからも我が道を突き進む。
<クレジット>
文:名嘉山直哉 写真:北浦汐見
※一部の写真は取材先よりご提供いただいております