若者を応援したい大人たちと一緒に、不寛容な社会を変えていきたい
頼る大人がいない15歳から25歳くらいの若者を対象に居場所と住まい、就労のサポート支援を行う特定非営利活動法人「サンカクシャ」。地域企業や住民と共に楽しく活動しながら、若者に社会参画できるルートを提供している。サンカクシャの設立者であり代表理事を務める荒井佑介さんが、目の前にいる若者のために活動を続ける理由は何なのだろうか。活動の軸にある思い、そして荒井さんが描く若者が生きやすい社会とは?
ボランティア活動で直面した、支援の届かない若者たち
池袋を拠点に、若者の支援活動を行うサンカクシャ。若者が安心して過ごせる場であり相談窓口にもなっている「サンカクキチ」、シェアハウスに住みながら生活と仕事のサポートが受けられる「サンカクハウス」、働く機会を提供し自立への自信が身に付くことを目的とする「サンカククエスト」の3つの仕組みを通して若者が社会で生き抜いていけるよう応援している。
大学時代からボランティア活動に参加してきた荒井さんだが、現在の活動の出発点となったのは豊島区で活動している無料学習支援会「クローバー」で出会った子どもたちだ。
「生活保護世帯の中学生を対象とした高校受験のサポートをしていたのですが、せっかく高校に入っても中退してしまったり妊娠してしまったり……。とにかく、うまく行かない子が多かったんです。義務教育が終了すると行政などのサポートが途切れてしまうことが多く、その世代の子たちこそ支援が必要だと感じたんです」
非行、ネットカフェ難民、闇バイト。課題を抱える若者ほど頼る大人がなく、行政からの支援も届かず、社会から孤立してしまう。大学卒業後は人材派遣会社に就職した荒井さんだが、そんな若者たちを支援するためボランティア活動を継続。そして、同じ思いをもつ仲間と共に立ちあげた認定NPO法人「PIECES」での活動を経て、サンカクシャを設立した。
サンカクシャ設立に至っては財源のないゼロからの立ち上げだったため、最初は助成金の申請に走り回る日々だったという。しかし、大学時代からボランティア活動を続けてきたこのまちには、荒井さんのまいた種がたくさんある。企業や地域住民など、寄付やボランティア活動に参加してくれる仲間の輪は少しずつ広がっていった。
「何もない状態からここまで活動を広げることができたのは、活動を支えてくれる人がたくさんいたからです。『助けてほしい』という気持ちを伝えることって大事なんですね。サポートしてくれる企業は30社にまで増えましたし、個人で寄付やボランティア活動に参加してくれる方もたくさんいるんですよ」
頼っても失敗してもいい。そう言ってくれる大人が増えてほしい
仕事体験や働く場の提供、物品の差し入れ、物件紹介などさまざまなかたちで届く、若者を応援したいという大人たちの思い。かつての地域コミュニティのような、気軽に助け合えるご近所さんのような付き合いがサンカクシャにはある。背景にあるのはやはり荒井さんの努力。しかし、そんな疲れや苦労を感じさせない、いい意味での緩さもまた、サンカクシャの活動の勢いを加速させているのだろう。
「かしこまった支援ではなく、『若者と一緒に楽しい活動をしよう』というのがサンカクシャの文化です。“かわいそう”より“楽しい”。その方が、若者は関わってくれるし話してくれます。だから、スタッフと若者との関係もあくまで自然。『何でも相談してね』とか『一緒に頑張ろう!』という前のめりな空気は出しません。ただただ同じ目線で普通に関わっていくうちに『今まで自分が生きてきた世界とは違う』と感じてくれる子もいますし、『この人になら話してもいいかも』と相談してくれる子もいます」
人に頼ることができなかった子が、だんだんと相談してくれるようになる。彼らの変わっていく姿を見るのが何よりうれしいと話す荒井さん。しかし、若者の孤立という問題に根本から立ち向かうためには、社会が変わらなければならない。これが、サンカクシャが目指すゴールでもある。
「人に頼ったり迷惑をかけたりしてはいけない、自分の力で頑張るべき……。そういった『頑張らないことは駄目だ』という社会の雰囲気を敏感にキャッチしてしまう子ほど、自信がなかったり孤立してしまったりするんです。でも、誰でも駄目な部分はあるわけで、自分一人の力だけで生きていくことほどつらいものはありません。若者支援を通じて、シビアで窮屈な今の社会を変えていかなければ、この問題はなくならないと思います」
若者の隣で伴走し続けたいけれど……50歳になったらたこ焼き屋!?
経営者としての仕事、現場での活動……ほとんど休みがないという荒井さんだが、10月からは若者と一緒にサンカクハウスで共同生活を始めたそう。
「私とスタッフ2名で、若者が暮らすサンカクハウスに入居しました。大人の目が必要な子を支援するためでもありますが、面白い拠点にもなるんじゃないかと思ったんです。サンカクシャにはさまざまな拠点があって、そこに大人が来てくれるわけですが、若者同士で固まってしまい交流につながらないケースも少なくありません。でも、シェアハウスくらいの空間なら大人と若者が密に交流できるんじゃないかなって。大人を呼んで、定期的にホームパーティーを開くのもいいかもしれない。それと、私自身が若者と関わっていないと生きた心地がしないんですよね(笑)。それが、若者と共同生活をするもう一つの理由です」
どんなにサンカクシャが大きくなっても、たとえ経営者としての業務が増えても、現場と向き合う人でありたい。全ての若者が生きやすい寛容な社会を実現するまで、活動のポリシーはずっと変わらない。しかし、なぜか「50歳で引退したい」と話す荒井さん。一般的な定年退職の年齢よりだいぶ早いが、その真意とは?
「疲れたなと思って(笑)。というのは冗談ですが、今年で34歳ですからそろそろ若者と関わるのが難しい年齢なんですよね。大学時代から15年活動してきましたから、50歳までと考えるとちょうど折り返し地点。これからも現場に立ち続ける人でありたいけれど、いつかは誰かに託していかなければならないと思うんです。自分のやることがなくなっていくのが、これからの私の仕事なのかもしれません。だからこそ、今のうちに新しいものをどんどん生み出して仕組みにして、人を育てなければなりません。50歳になったら隠居して、山奥でたこ焼き屋をのんびり経営。地元一番のやんちゃな子たちにたこ焼きを食べさせながら、社会にフィットするようにサポートするのもいいなって」
やはり、荒井さんが若者を思う気持ちはずっと変わらなそうだ。最後に、15年活動を続けてきた池袋への思いを聞いてみた。
「かつてはダークなイメージもありましたし、消滅可能性都市と指摘されたこともありますが、今は『住みたい街』として上位にランクインしていますよね。イメージチェンジすることができたのは、豊島区を良くしたいという思いをもつ人たちが頑張ってきたから。それは、みんなが感じていることなんじゃないかな。互いにつながろうとする良い距離感をもつ人が多いこのまちが大好きですし、ここで活動してきて良かったと思っています。まちのために何かしたい! 豊島区には、そう思える魅力があります。今後は、まちに恩返しできるような活動もしていきたいですね」
文:濱岡操緒 写真:北浦汐見