「人生で一番最高の晴れ舞台」を支える、元バンドマンの敏腕プロデューサー
2019年11月に、豊島区東池袋一丁目の再開発で誕生した「Hareza(ハレザ)池袋」エリアの未来型ライブ劇場「harevutai(ハレヴタイ)」。企画や運営を含め、この「harevutai」全体をプロデュースしているのが、ポニーキャニオン株式会社の佐藤正朗(さとうなおあき)さんだ。佐藤さんは学生時代から自身でも音楽活動を行い、卒業後はコンサートプロデュースや、音楽制作ディレクターとしてさまざまなアーティストに携わってきた、まさに“音楽の人”。現在は「harevutai」を起点に、池袋のまちで面白い取り組みを仕掛けまくる佐藤さんに、これまでの経緯や今の想いについて伺った。
音楽以外になかった。これまでの経験が繋がって辿り着いた「harevutai」
「harevutai」のチーフプロデューサーに至るまでの佐藤さんの経歴は、紆余曲折ありつつもそのすべてが音楽にまつわるものだ。始まりは、J-POPロックにハマった学生時代に遡る。
「BOØWYの氷室京介さんが大好きで、中3の頃にギターを買って高校から大学までずっとバンドをやっていました。L’Arc〜en〜CielやGLAYも好きでよく聴いていましたね。当時からアレンジ(編曲)は誰だろうとか、やっぱりこの曲は売れるよね、といった視点でも見ていました(笑)。だから卒業後にエンターテインメントの世界に入るのも、自然な流れでしたね。自分の中で音楽以外に選択肢がなかったというか」
大学卒業後はコンサート制作会社に入社し、アーティストのコンサートプロデュースに携わったのち、退社。期限を30歳までの4年間と決めて、音楽活動を再開するのだ。その間も、専門学校の講師をしながら某レコード会社でアーティストのツアーのサポートなどをしていた縁で、30歳でそのレコード会社に入社。音楽制作ディレクターとして、新人から著名なアーティストまで幅広く携わってきた。
その後は当時のレコード会社の上司と一緒に、ポニーキャニオンの新しいレーベル会社に転職し、しばらくは新人アーティストを売り出すために奔走していた佐藤さん。「harevutai」の運営に携わることになった経緯とは?
「ポニーキャニオンがライブ事業を始めることになったんです。そこで、これまでの経験から僕が指名を受け、新たにライブセクションのチームをつくって社内外の案件に取り組んでいました。そのなかで、豊島区の『国際アート・カルチャー都市』実現を目指した都市開発プロジェクトが動き始め、ご縁があって僕は企画書づくりやプレゼンのサポートとして入ることに。その提案が無事通って、『harevutai』全体の企画や具体的な会場構成などを考えていきました。企画から完成までの約5年の間にメンバーも入れ替わりつつ、さまざまな方たちの協力があって誕生したライブ劇場なんです」
まちの人を巻き込みながら、みんなで盛り上げていく
実はこの「harevutai」のプロジェクトに関わるまで、池袋との関わりはほとんどなかったという佐藤さん。アニメやマンガのまちというイメージが強い池袋だが、仕事で声優さんのライブやツアーに関わるまでは、その認識も全くなかったそう。
「学生時代、一緒にバンドを組んでいたベースのメンバーが池袋北口に住んでいたので、曲づくりのために何度か訪れましたが、まちをしっかり歩いたことはなかったですね。社会人になってからは、ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』のイメージが強いと思っていたし、仕事柄いつも人混みの中で仕事をしていたので、人が多いまちには行きたくなかったんです(笑)」
笑いながらそう話す佐藤さんだが、現在は自身のこれまでの経験を活かして、「harevutai」を起点に池袋のまちでさまざまな取り組みを行なっている。月に一回、一般社団法人ハレザ池袋エリアマネジメント実務者会議があって、特に「TOHOシネマズ池袋」、「アニメイト」や「WACCA 池袋」の担当者と近況確認をしたり、「harevutai」周辺エリアにいる人たちを知るためにお店に足を運んだりすることも。
photo:harevutaiサンダース
「自分の中にアイデアはあっても、やっぱり人と人との出会いでより面白くなったり、ぐっと具現化できたりするんですよね。ワンマンでやっても自分の楽しみだけで終わってしまうので、『これ楽しくない?』って一人でも多くの人を巻き込んで盛り上げていきたいなと思っています」
結局は、ワクワクすることをしたいだけ
「harevutai」が誕生して早くも4年目。佐藤さんにとって「harevutai」は、これまで音楽業界で生きてきた集大成のような存在になりつつあるという。劇場がパイプ役となり、今まで関わってきたアーティストやスタッフとの繋がりがまた新しい形で生まれているのだ。また、池袋のまちで劇場の運営に携わり始めたことで、自分の中にも変化が起きていると佐藤さんは話す。
「音楽ディレクターはアーティストを売り出すのが仕事ですし、上手くいかなければ自分の責任。僕自身もそれが当たり前だと思っていました。でも、今は音楽を通じて違うジャンルの方たちとお仕事をする機会が増えて、彼らが新鮮さを感じてくれることに僕も喜びを感じるし、やってよかったなという新しい感覚が生まれました。だからますます、いろいろな人に会いたいですね。明確な目的があるわけではないけれど、どこかに企画の種が隠れてる気がしていて。結局僕はワクワクするようなことをしたいだけなんですよ。そうじゃないと死んじゃうんだと思います(笑)」
さらに佐藤さん自身の、今後の野望を聞いてみるとこんな答えが返ってきた。
「僕の野望は、講演会で全国を回ることです。今までアーティストのツアーで日本全国を回っているはずなのに、朝から夜まで仕事だから全然堪能できていないんですよね(笑)。それにインプットをするには、同じ場所にいると限界があるし、やっぱりネットではなくて自分で体感しないと説得力がないなと。だから講演会でコンサートやイベントプロデュースの話をしながら全国を回って、インプットしたものを持って帰って形にしつつ、またそれを皆さんにお伝えする、みたいなことをしたいなと思います」
取材時には、「Hareza 池袋」の3周年記念イベントのプロデューサーを依頼され、奔走していた佐藤さん。頭の中にはほかにもアイデアがたくさんあるようで、たとえば池袋のまちで映像技術を駆使した初の花火大会の実現を目論んでいるのだと、楽しそうに教えてくれた。常にわくわくした気持ちでまちを見つめる佐藤さんの手にかかれば、池袋の公園も商業施設の壁もエンタメの舞台になる。どんな新しい取り組みが生まれていくのか、今から楽しみだ。
文:むらやまあき 写真:北浦汐見
※掲載されている一部の画像については、取材先よりご提供いただいております。