好奇心をくすぐり、新たな価値に出会える場を作り続けたい
東京を代表する複合芸術文化施設として1990年に誕生した東京芸術劇場。「芸劇」と親しまれているこの劇場で2021年から副館長を務めているのが鈴木順子さん。実は、サントリーホールや東京国際フォーラムといった大規模なホールの立ち上げのほか、世界最大級のクラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」を誘致するなど、敏腕プロデューサーとしても知られている。鈴木さんの、穏やかな雰囲気のなかに秘めた音楽、芸術、舞台への熱い想いとともに、池袋でのお気に入りの過ごし方についても伺った。
まちを巻き込んで世界最大級の音楽祭を誘致
サントリーホールや東京国際フォーラムの立ち上げに携わってきた華やかな経歴をもつ鈴木さん。何がきっかけでコンサートホール事業に関わるようになったのだろうか。
「最初のサントリーでは、人事や広報を担当していた一般の社員でした。たまたまサントリーホールが設立される時期にPR担当となり、ホール事業に携わったことが今に繋がっています。もともと音楽好きなうえに新しいもの好き。コンサートホールという場を通して革新的な発信をする仕事に魅力を感じて、その後は王子ホール、東京国際フォーラムに立ち上げメンバーとして加わりました。王子ホールは300席ほどの小ホール、かたや東京国際フォーラムは5000席のホールや5000㎡の展示場のある大規模複合施設です。規模は違えど、『一流の演奏や舞台作品を生で体験してもらいたい』という共通した思いでさまざまな自主企画を考えました」
東京国際フォーラム時代には、世界最大級のクラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」を日本に誘致、第1回のプロデュースを担当した。
「東京国際フォーラムでしかできないコンサートをと、フランスのナントで行われている音楽祭ラ・フォル・ジュルネを日本に誘致したのは2005年のことです。クラシック音楽の民主化をコンセプトに掲げ、低価格で短時間の公演を同時多発的に行い、誰もが楽しめる音楽祭。なんとも魅力的なイベントを日本でも実現させたくて、丸の内のまちを巻き込み、開催することができました。ゴールデンウィークの丸の内の風物詩として定着した音楽祭を8年間見守り続けたのち、2014年からは、芸劇が私にとっての新たなフィールドになりました」
舞台の灯を消してはならないと誓ったコロナ禍
芸劇の一員になった2014年以降、さまざまな自主事業を形にしてきた鈴木さん。特に印象に残っているのはどんな事業なのだろうか。
「2017年にはじまり、今も毎年続いているボンクリ・フェス( “Born Creative” Festival)は特に印象深いですね。今の時代の音楽をより多くの人々に楽しんでいただきたいという思いからはじめたのが開催のきっかけでした。現代音楽って、クラシックファンにはなかなか受け入れられないところがあって。どうやったら現代音楽鑑賞の裾野を広げられるだろうかと考えるところからのスタート。まず、企画の柱となるフェスの芸術監督として、作曲家の藤倉大さんに声をかけました。藤倉さんは国内外のアーティストだけではなく、現代音楽、電子音楽、民族音楽など、あらゆる分野の人や音楽、芸術にボーダレスにつながっている方。年代問わず多くのお客さまに音楽を通してクリエイションを楽しんでもらうこのイベントにはぴったりだと思ったんです」
記念すべき2017年の初回は坂本龍一さんや大友良英さんの新作世界初演を披露することでも話題に。
「話題の方々の作品を取り上げることで一気に注目が集まりました。コンサートホールでの公演の他に、即興音楽も雅楽も現代音楽のアンサンブルもペルー音楽も楽しめるワークショップコンサートも開催。子どもが指揮をして大人が演奏する大友良英さんの新作もありました。年齢もジャンルも幅が広いことがボンクリ・フェスのいちばんの魅力です。その日1日は芸劇が大人も子どももみんなが新しい音楽に触れながら、いろんな発見をして笑顔になる。描いていた理想が現実になった様子をみたときは、これが自分のやりたかったことだ! と感慨深い気持ちになりました」
その後は、コロナ禍によって休館を余儀なくされるなど、過去にない窮地も経験。
「公演だけではなく、練習すらもままならない状況に、誰もが苦しい思いを抱えていました。そうしたなか舞台に携わる方たちみんなが口にしていたのが『舞台の灯を消してはならない』という言葉。オンラインでの取り組みなどにも着手しながら、自分たちが大切にしてきた灯が消えないようにと、気持ちを燃やし続けていました」
営業再開後初となる芸劇での公演は、ナイトタイム・パイプオルガンコンサート。
※東京芸術劇場ナイトタイム・パイプオルガンコンサートVol.32
2020年6月18日(木) 東京芸術劇場コンサートホール
photo:Hikaru.☆
「観客は100人限定など、制限の多い公演でしたが、久しぶりにホールに芸劇自慢のパイプオルガンの音色が鳴り響き、演奏に聴きいるお客さまの姿を見たときはそこにいた誰もが心を震わせました。私たちにできることをしながら、閉塞感に包まれている世の中の人たちのオアシスになりたい。関係者全員が自分たちの使命をあらためて感じた瞬間でもありました」
新たな価値観に出会えるのが劇場の魅力
サントリーホールのPRからはじまり、芸劇の副館長を務める今も劇場の運営を通して大好きな音楽や舞台芸術に携わり続けている鈴木さん。劇場に足を運ぶ意義はどんなことにあると考えているのだろうか。
「劇場は、自分の可能性を広げてくれる場所だと思っています。ひとつの会場でも日々、いろんなジャンルのさまざまなアーティストの公演が開催されているのが劇場。自分が今まで興味を示さなかった分野の公演でも、試しに足を運んでみることで、新たな発見や出会えることも。フランスの作曲家で指揮者でもあるピエール・ブーレーズは『人生における普遍的なあるべき考え方とは?』という問いに『好奇心を持ち続けること』と答えています。私もまったく同意見。世界中でどんな音楽がどんな芸術がどんな人が注目を集めているのか知りたいし、聴きたいし、見たいし、会いたくなる(笑)」
好奇心の塊と自認する鈴木さんが最近注目しているアーティストは?
「異才のヴァイオリニストと言われているパトリシア・コパチンスカヤです。演奏も衣装もメイクもぶっ飛んでいて、なかなかの衝撃でした。舞台ですと、チェルフィッチュの岡田利規さんが演出を手掛けた木ノ下歌舞伎も面白かったです。固定観念にとらわれずクリエイションを楽しんでいる人や作品を見ると元気をもらえるんですよね。あえて違う価値観に触れることで、自分の視野も広がる。自分自身の可能性を広げる意味でも新しいものとの出会いには価値があると思っています」
2021年に副館長に就任し、さらに精力的に活躍の幅を広げている鈴木さんにとって、息抜きに使える池袋でのとっておきの場所とは。
「お気に入りは、西武池袋本店の9階屋上にある『食と緑の空中庭園』です。画家クロード・モネが愛したノルマンディーの『ジヴェルニーの庭』やモネの大作『睡蓮』にインスピレーションを得て造園された庭園で、いつ行ってもみずみずしい緑や花にあふれている。まさに都会のオアシスといった雰囲気で、息抜きにはぴったりです。フードコートで大好きなフォーをテイクアウトして広々とした空の下でのんびりランチをするのが私にとっての至福の時間。ちなみに週末に開催されているミュージックライブでは芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインドが演奏することも。駅前の百貨店の屋上で緑と花と音楽を無料で楽しめるなんて最高ですよね。皆さんもぜひ、行かれてみてください」
文:堀 朋子 写真:鈴木優太
※掲載写真の一部は取材先よりご提供いただいております。